2002年8月11日(日)〜14日(水)
L西、増田、大塚、松之舎、関
根子川入りソウカ沢に入る予定であったが、結局悪天でずっと日暮沢小屋で停滞することとなった。
そのため大して報告することもないのだが、賑やかしのために少しボリュームを膨らませて書くこととする。
8月11日(日)
この日は日暮沢小屋に入るだけの移動日。西さん、大塚さん、松之舎さんはバスで、私と関さんは青春18切符でそれぞれ山形を目指した。西さんがバスに乗り遅れ、新幹線となった。
私と関さんは郡山での乗り換えに失敗し、ルートを仙台から仙山線で山形へと変更した。
何はともあれ、一応予定時間に山形駅で集中。買い物をして左沢線で羽前高松へ。そこで予約していたタクシーで日暮沢小屋に入る。
日暮沢小屋に着いたのは20:00。昨年経験済みの極めて綺麗で快適な避難小屋だ。先客は4人で、既に4人とも3階でお休みであった。我々は2階に陣取り早速宴会を始める。上に気を使いながらのひそひそ声の宴会が23:00ごろまで続いた。
8月12日(月)雨
小屋泊まりの常で、登山者の早立ちの音で目を覚ます。同時に雨音も耳に入ってきた。ん?雨か。天気の崩れは予報で知っていたが、出発前から雨というのはいやなものだ。気がそがれてしまう。
しばらくの様子見が決定されてもう一眠り。8時ごろ再度目を覚ましたが、雨は一向に止む気配はない。それどころかますますひどくなってきた。この雨ではおそらく根子川本流がかなり増水しているだろうということで、今日一日の停滞が決定された。停滞となればやることは1つ。午前中から飲み始める。
昼頃どやどやとお客さんが入ってきた。今朝竜門小屋を出てきた人たち。1つは昨日見附の入りトウヌシを登ってきたという沢屋さんの3人P。もう1つは女子大のWFと思しき若い女性だけの9人P。急に小屋中が賑やかになる。しかしその人達もしばらくいた後、徒歩やタクシーで相次いで帰ってしまった。そしてまた我々だけが残された。雨は相変わらず降り続いている。酒を少し飲んではうとうとし、目がさめてはまた少し飲む。怠惰な時が流れた。
明日の予定を話し合った。明日雨がやんだら根子川本流を遡行し、どこか適当な川原を見つけて焚火で一夜を過ごし、あさっての朝バスの時間に間に合うように降りてこよう。それも結果的には空しい話し合いだったのだが。なぜかこの日も宴会は深夜にまで及んだ。岩井又Pのために買ってきた10本のビールのうち4本がこの日消えた。
8月13日(火)雨のちくもり夕方晴れ
朝起きて酒の残量が少ないのに愕然とする。この日も朝から降ったりやんだりで、遡行することはあきらめた。
10時過ぎにどこかの大学?の17人P(男ばっかり)がずぶぬれ状態で降りてきた。上はまだけっこう降っているようだ。小屋に閉じこもっていると人恋しくなるのか、誰かが降りてくるとじっと見ていたり、声をかけたくなってくる。山小屋の番人の気持ちが少しわかる。
林道を根子川本流の橋のところまで行ってみることとする。歩いて10分ほどだ。橋の下は堰堤となっていて、普段ならキャンプに適した川原となっているのだろうが、今日は川原も消え、にごった水がほぼ川幅いっぱいに流れている。こりゃ遡行どころじゃない。行かなくてよかった。
また怠惰な時間がやってきた。酒も残り少ないので、昼寝ぐらいしかやることがない。話すことももう尽きた。西さんが「日暮沢を遡行してみよう。」とか「きのこを探しに行こう。」とか「サルナシを採りに行こう。」などと誘ってくれるのだが、モチベーションの下がりまくった我々には通じなかった。
11:00、13:00と無線交信を試みるが通じない。次は17:00ということだが、念のため15:00もやってみたがダメだった。17:00、18:00の交信が失敗に及ぶにいたって、何かトラブルがあったことは確実と思われた。
この間に皆で考え、議論したことをまとめると次のようになる。
問題は二つある。
(1) なぜ無線交信が通じないのか。
(2) なぜ下山が遅れているか。
(1)の問題について考えられる原因は三つ。㈰まだ竜門の稜線に上がっていない。㈪稜線から日暮沢小屋までは無線が通じない。㈫無線機のトラブル。
㈫はバッテリー切れ、水没などであるが、長南さんのことゆえ可能性としては少ない。㈪はまずありえない(とこの時点では判断した)。だからおそらく㈫で18:00時点でもまだ稜線まで上がっていないのだろう。
(2)ではなぜ行動が遅れているか。12日はあの雨だからおそらく沢の中で身動きがとれず一日停滞しただろう。そうすると今朝テン場を出発して稜線を越えてくるわけだが、その場合テン場がどこだったか。これについては2パターン考えられたが、我々には岩井又パーティーの計画書がなく、また岩井又本流の知識も乏しいため、判断がつかなかった。
)畑沢出合を超えて岩井又本流に突っ込んでいた場合、中俣とガッコの出合あたりまで(そんなところにテン場があるかどうかはわからないが)は11日中に行けただろうか。そこからの中俣の遡行に手間取っている可能性が考えられるが、中俣のことをよく知らないのでそれ以上の考察ができない。
)悪天を予想して11日中に畑沢に逃げた場合、喜助の滝あたりまでは行けるだろう。今朝喜助の滝下から出発した場合、6〜7時間で稜線に上がってくるだろう。増水で遡行に手間取っているのだろうか。
(3) 今後の行動
岩井又Pの行動予測;竜門から日暮沢小屋までコースタイムで3.5時間。夜間のことなので4時間かかるとし、19:00に竜門を出れば23:00日暮沢着。20:00なら24:00着。疲れていれば今夜は竜門小屋に泊まり、明日の朝9:15のバスに間に合うように降りてくるかもしれない。
明日の朝、バスの時間までに降りてこなかった場合、一旦我々は全員大井沢まで移動し、在京連絡人と竜門小屋に連絡をとってみる。昨年の経験では竜門の稜線からは携帯電話が通じたので、携帯で在京連絡人に連絡が入っているかもしれない。
もし、在京連絡人に何の連絡もなく、また竜門小屋にも宿泊していなかったとすると、何らかのトラブルをかかえてまだ岩井又川の中にいる可能性が大となる。その場合にどうするかはこの日結論が出せなかった。
そんなことを考えながら酒を飲んでいた22:15、ガチャの音とともに4人が無事下山してきた。ほっと胸をなでおろす。よかった。4人とも疲れきった顔だったが、目だけがぎらぎらと生気の輝きを発していた。話によれば18:00には稜線から無線交信をしたとのこと。稜線と日暮沢小屋では無線が通じないことがわかった。
始まるのが遅かった宴会は当然終わるのも遅く、小屋が我々の貸切だったこともあって、私と関さんは1:00頃まで飲んでいた。ちなみに岩井又Pは当然早々に就寝。お疲れさまでした。
相手パーティーの行動をどう読むか。昨年、岩井又川〜畑沢〜竜門〜日暮沢小屋と歩いた自分にとって、体はひとつ所にとどまっていたが、頭の中は山々を駆け巡るバーチャルゲームのような2日間だった。
翌日は予定通り頼んであったバスに乗り、水沢温泉で入浴後、青春18切符で帰る佐藤さん達と別れ、『蛙の子』で一杯やってバスで山形へ。山形新幹線の中で岩井又パーティーから戴いた岩魚の焼き干でまた一杯やりながら帰った。(記:増田)