奥美濃・揖斐川赤谷(遭難報告)

2002年11月2日〜7日
L越山、佐藤、長南

2002/11/02 奥美濃:揖斐川

今回の計画では揖斐川源流の本谷筋にあたる赤谷(あかんだに)から同支流の中ツ又谷を詰め、南面の西谷流域の励谷(はげんだに)を下降し、根洞谷(こんどうだに)三周谷を遡行後、夜叉ヶ池経由広野に11月4日午後に下山する2泊3日のコースを辿る予定であったが、想定外の規模の増水・積雪により行程が大幅に狂い、通信も不能の状態に陥ったため、関係各位に多大なる心配と迷惑をかける結果となってしまった。今後同様の気象遭難を予防・回避する上で以下の報告がお役に立てば望外の喜びである。

11月2日7:00夜行バスで鯖江に到着、タクシーで国道417号〜冠山峠(標高約1,000m)経由で赤谷を目指す。峠付近はガスがかかり5cm程度のシャーベット状の積雪があったが、美濃側に乗り越し高度を下げてガスの層の下に入ると、揖斐川源流部の稜線から谷底まで全山が紅葉に染まり最盛期を迎えようとする晩秋の絶景が眼下に広がり息を飲んだ。

9:00前に才ノ谷・赤谷出合の橋に到着、雨がそぼ降り始めた中、足拵えを終え赤谷遡行を開始する。目視では平水時より30cm近く水位が上がっており、この時期にどのような降雨条件でかかる増水に至ったものかいぶかしまれたが、晴れ間と通り雨を伴った雨雲が交互にめまぐるしく行過ぎる不安定な天候ではあるものの、季節的には集中豪雨による鉄砲水のような急激な増水はないと判断し、今日は欲張らず行ける所まで行き明日以降の行動を占うことにした。

小一時間でイチン谷出合に到着すると対岸で親子と思しきツキノワグマを発見。沢音と風向きの具合でこちらに気付かなかったのか、10m程の至近距離で5分程もツル性植物の実を貪り続けた後、まさに傍若無人で姿を消したが、後から思えば異例に早い冬の到来を感知して冬眠準備におおわらわとなった彼らにとって我々などにかまっていられなかったのかもしれない。

その後も道谷を始めとする幾つかの枝谷を分けて遡行して行くが、沢形も相応に狭まり渡渉が依然容易ではない中、右岸壁からすだれのように落ちる二条10m滝の先の瀞(といっても今は水勢が強い)で谷通しの通過が困難になった為、慎重に右岸に渡り、巻道に従って砂礫混じりのぐずぐずの斜面に取り付き樹林帯をトラバース。途中、5〜7m程度の斜瀑下に懸垂下降すれば小さい高巻きであるが、斜瀑に取り付く為には廊下状の沢形を左岸に渡渉せざるを得ない為、安全を見て高度を上げつつ右岸トラバースを続け、小さいガレ沢をまたいで谷に戻る。

廊下は抜けたが水勢が強く気が抜けない中、16:00頃水面より2m程高いテント一張り分の台地を見つけ一泊目の泊場とする(C1)。小雨の中焚き火を始めるが燃え上った頃合に雨足が強まりテントに避難。

夜半から雷がとどろき始める、寒雷だ。北陸在住経験のある長南さんが予測した通り、程なく冷たいみぞれ交じりの風雨が強まり、しまいには雪と化し明け方まで続いた。

11月3日、時折覗く晴れ間に稜線の紅葉の雪化粧が映えて美しいが、眼下の水流は昨夜の雨で更に勢いを増しており、赤谷遡行の核心部として予想している中ツ又谷出合手前からの廊下帯の通過及び、昨日の往路下降のいずれも困難と判断し、谷底から300m上方の釈迦嶺南面を縫う林道へのエスケープを決定し、今日中に下山出来ると読んで泊場対岸(左岸)の小沢を詰め上がることにする。滝もなくエスケープには格好の沢であるが、地形図では林道がこの小沢に達しているか微妙なところであることから、安全を見て100m程余計に高度を稼ぎ、釈迦嶺山腹を西方に若干トラバースし尾根伝いに目論見どおり林道に下降(14:30)。せいぜい標高800m強の地点で南面でもあるが、昨日のものと思われる積雪が30cm程あり膝下のラッセルになる。また林道は少なくとも20年以上前に放棄されたと見られ樹木が繁茂しており、平坦ではあるがひどい藪こぎが余計に負荷をかける。

夕方にかけて吹雪となり、地図上のヘアピンカーブと思しき地点で道形が不明瞭になったところで夕暮れも迫ってきた為、藪の薄いところにテントを設営(C2)し、中に転がり込んでウエーディングシューズを脱いだ。

11月4日、昨夕からの降雪が午前中もおさまらず50cm程の新雪が積っていた。午後、天候が小康状態になったのをついて行動を開始する。釈迦嶺直下の小沢が横切る地点に赤テープがあり、この先はこれまで苦しめられてきたブッシュがやや薄くなり、雪面から露出した枝にナタ目があることから釈迦嶺登山路としてある程度刈り払いがされていることが判り勇気付けられるが、再び降雪・雹が激しくなり寒気も強まる中、次の沢筋を越えたところでテントを張る(16:10、C3・4)。

11月5日、昨夜中、寒雷と降雪は止まず、夜中にテント周りの除雪をしたものの、1mの新雪にテントが埋まりかかっていた。日中になっても風雪が続く中、手足の冬山装備を欠いたまま腰上の藪こぎラッセルを行うことは危険と判断し、水も確保できるところであることから停滞することに決定、コッヘルのフタで交代に除雪をするほかは体力を温存する。
昨日21時が下山連絡時間であった為、会の遭難対策規定に従い24時間後の今夜、在京連絡人の戸ヶ崎さんを始めとするメンバーが捜索・救援行動を起こすことは間違いないが、携帯電話も通じず安否を伝えるすべもなく、歯がゆい悶々とした夜を過ごす。

11月6日、朝7時のラジオニュースで捜索が開始されたことを確認。早くも8:00前には爆音と共に岐阜県警のヘリコプターの呼びかけが聞こえてきたが、降雪は一段落したもののガスが濃く、ヘリを視認できなかった。

10:15、行動を開始。ツボ足で所々腰まではまる新雪のラッセルは荷物を背負っていては身動きが取れないので、上空からの目印としてテントを張り残したまま3人交代でトレースをつけてゆく。正午前に再度ヘリが赤谷流域に入ってきた。ガスの高度が我々の位置より上がり、今度はこちらからその姿を視認できたものの、谷底を探しているのか我々より低空を飛行していた為、発見されなかった。

15:30に今日の泊場として目指していた見晴らしの良い凸角地点に到達。携帯電話を試みるも、ドコモ・ツーカー共に通話圏外。トレースを引き返し荷物を回収してテントを設営(16:25、C5)。

夕刻から無風状態となり、はるか南方の空から晴天が広がり始め冬型の気圧配置が一時的に緩みつつあると感じられた。夜には我々の上空も星空になりラジオの予報によっても明日の美濃・越前両山間部共に晴れとのことから、発見されることを期待して体を休める。

11月7日朝7:00のラジオで我々の捜索が続行されること、赤谷入口から藤橋村消防団などの方々による地上捜索隊が出る予定であることを確認し、ヘリに発見されない場合の自力下山コースは、ウソ越から集落(宅良)は近いが再び積雪につかまる恐れの強い高倉峠(標高約960m)越えではなく道谷沿いに塚林道を下ることにする。もしかするとウソ越〜赤谷入口間は積雪をおして捜索車輌が巡回しているかも知れない。ただし、我々がラッセル行軍を続けウソ越に達するまでには今夜一泊を要するであろう。赤谷入口までとするともう一泊だ。

太陽が上がりこれまでの数日が嘘のような暖かい晴天になった。8:00頃ヘリがかなりの高度で南方から飛来してきた。レスキューシートなどを使い合図を試みるも発見されず。我々も今日の好天を無駄に出来ないので、昨日同様空身ラッセルで前進を開始することわずかで、ヘリが再びやや高度を下げてウソ越方面から谷沿いに飛来し、今度は発見された(8:50)。これで安否を気遣っている人々に3人の無事が伝わると安堵した瞬間、不覚にも胸がこみ上げた。

発見してくれたのは岐阜県警航空隊の小型ヘリ”らいちょう”で、1時間後に救助に来るので荷物をまとめておくようにとの指示を受けたことから、ウソ越からのスノーモービルなどによる地上からの救援ではなく空中からのそれが意図されていることがわかる。
時間どおりに”らいちょう”が飛来、航空隊員一名が下降しまず長南さんを吊り上げ南方に去った。操縦士と降下隊員間の無線通信のやり取りでテントを張っていた地点に”らいちょう”が着地できそうだとの判断がなされ、隊員と佐藤さん・越山の3人で圧雪・ブッシュの除去を行い、にわかづくりのヘリポートを造成。やがて”らいちょう”が戻り、着地を敢行。弱風(航空隊員によると3m/秒)で風向が安定していたとはいえ、1mもずれれば機体後部ローターがブッシュに接触しかねないピンポイントの妙技に舌をまく。後日伺ったところ全国の警察でも屈指の名操縦士でおられるのことであった。

隊員の指示に従い佐藤さんと共にヘリコプターに乗り込み、積雪と紅葉のせめぎ合う奥美濃の山々の絶景を眼下に、揖斐川伝いに南下し揖斐川町の臨時ヘリポートに20分程で到着、揖斐警察署の厚意で手配されていた救急車で揖斐総合病院に収容された。

(補足㈰:気象)
例年より早く冬型の気圧配置が定着し、越美国境の天候も芳しくないことは十分認識していたつもりでいたが、予定ルートの既積雪状況は冠山峠越えで入山することにより把握出来かつ、いずれにしてもまだ根雪になるような降雪も入山中はないとたかをくくっていたのが大いに甘く、現実は、谷筋では30〜40cmの大増水、尾根筋では累計2m近い新雪という手痛い挟み撃ちに遭ってしまった。

地元の人いわくも数十年振りという1ヶ月近くも早い冬の到来を予知不可能であったとすればそれまでだが、言い換えれば、この時期にこの気圧配置である以上、数十分の一という交通事故などとは比べようもない高い確率で、今回のような気象遭難が起こりえるということであり、備えが甘かったことを大いに反省。

(補足㈪:防寒装備)
雪中行軍の足回りについては、防寒対策としてクロロプレーンソックスの下にウールまたはオーロンの靴下を履き、佐藤・長南両氏はさらにレジ袋をかぶせた。3月の台高などでの経験はあるにはあったが、今回初めての経験となった複数日の沢登り用のウエットシステムによる足回りでの深雪ラッセルでは、長時間の行動は重度の凍傷を負う恐れが強いと実感した。気温・雪質・ソックス他断熱層の厚み等により条件は当然変わってくるであろうが、今回の幸運な結果論では実働3〜4時間/日が限度であったといえる。

また、今回はグローブも沢用指無しクロロプレーンあるいは軍手しかなく、足回り同様に凍傷の恐れから風雪中の行動持続時間に重大な掣肘を受けた。早春・晩秋の沢登りには然るべき手袋を用心して携行すべきかもしれない。例えばシンプルなウール製5本指なら藪こぎ・焚き火まわり用途と兼用も出来るのだから。

なお、今回全員が持参していたレスキューシートは就寝時の防寒に大変効果があった。

(補足㈫:食料・燃料)
今回は幸か不幸か2日目夕刻には最悪1週間程度のエスケープを想定せざるを得なかったことから計画的に温存を図り、食料は非加熱で摂取可能なもので1.5日分程度、塚林道で焚き火をして(釈迦嶺林道より高度が大幅に下るので積雪は軽度かつ、道谷で流木が確保できると推定して)摂取しようと目論んでいた米6合、ラーメン4食などを温存していた。

飲料水は林道を横切る小沢で調達して燃料を節約できた。越山は収容された病院で脱水による軽度の腎盂炎と診断され佐藤・長南両氏より経過観察として余計に病院に留め置かれた。行程の終始下痢気味であったこともあり当人に脱水症状の自覚はあったが、冷たい水を相当量摂取することによるカロリー消費との得失があり、何を優先するか体に相談しながら対応した結果として止むを得なかったということであろう。

(補足㈬:通信・目印)
冬山登山の際は携帯電話に加えてトランシーバーの携行が義務つけられているが、冬山に準じる今回のような時期も携行を励行すべきであろう。

目印については航空隊員の方の経験によると、上空からの捜索の手がかりとしては、原色系の物(テント等)、光を反射するもの(レスキューシート等)に加え、煙によるのろしが非常に有効とのことであり、沢筋なら焚き火、雪上でもゴミやウレタンマット(緊急手段ではあるが)の焼却は常に念頭に入れておきたい。自動車事故用の発煙筒の携行も検討したほうがよいかもしれない。また夜間捜索(も行われることがあるという)の際は灯りが手がかりになるというので、焚木・燃料・電池が許す限りヘリコプターの飛来に迅速に対応出来るよう備えておくべきだろう。よほどポイントを絞って念入りな捜索がなされない限り、上空から見た人間やトレース跡は豆粒同然であり、発見されるべくあらゆる工夫を積極的に凝らすべきであろう。

* * *
最後に、多大なる迷惑をお掛けしながら3人の捜索・救助・情報提供にあたっていただいた、藤橋村役場・消防団、岐阜県警揖斐署・航空隊を始めとする所轄行政各位と、友好山岳会関係各位、職場関係各位、そして当会在京メンバー各位に改めて心よりお礼を申し上げ、今後同様の遭難騒ぎを起こさぬ様、精進することをここに誓約致します。(記:越山)

<<コースタイム>>
11月2日 9:35 赤谷遡行開始 〜 10:20 イチン谷出合 〜 11:15 道谷出合 〜 16:00 C1
11月3日 10:25出発 〜 14:30釈迦嶺林道跡(終点付近) 〜 16:00 C2
11月4日 13:00 出発 〜 16:10 C3・4
11月5日 (停滞)
11月6日 10:15出発 〜 16:25 C5
11月7日 8:30 出発 〜?8:50?ヘリに発見される

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