奥美濃の報告書の中で、妙に印象に残ったのが、「ツキノワグマの親子が人の気配にも構わず、冬眠準備のために木の実を貪っていた。」というところです。
宮沢賢治の『なめとこ山の熊』をふと思い出しました。熊撃ちの小十郎が、谷で、母熊と子熊が月光の中、額に手をかざして向こうの谷を眺めているのに出会う場面です。そう言えば、何年か前に、大源太に山菜採りに行った時、犬ぐらいの大きさの子熊が一目散に走って行くのを見たことがあります。「おかあちゃ~ん。」という声が聞こえたような気がしたものです。
ところで、私は最近、川上弘美の小説をよく読むのですが、『神様』という物語があります。「くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。」という書き出しのほのぼのとしたお話で、田舎から出てきて、三つ隣の305号室に住んでいる昔気質のくまが、川原で魚を捕って、干物にしてくれたりするのです。
吉村昭の『熊嵐』という、恐ろしい小説もありました。これは、実話に基づいているもので、明治時代(?)巨大な羆が、北海道の寒村に現れて、次々と人を襲うというもので、知恵と意志を持ったこの羆と人間の戦いには、凄まじいものを感じました。
アラスカの動物写真家の星野道夫(私はこの人のファンで、有名になるずっと以前、手紙を出したら、お返事をもらった)も、テントで寝ている時に彼が大好きだった動物、熊、に襲われて死んでしまいました。
こうして、考えてみると、熊という動物は、擬人化されることが多く、どこか、人間ぽい所を持っているような気がします。こんなことを聞くと熊は嫌がるかもしれませんが。
以上、羊年の初めに、全然関係のない熊の話でした。(も)