谷川・東黒沢〜丸山沢〜ウツボギ沢〜白毛門岳

2003年9月27日〜28日
L西、佐藤、関、満田

2003/09/27 奥利根:ウツボギ沢

今回の計画は2003年9月27日〜28日にかけて、東黒沢〜丸山沢〜ウツボギ沢〜白毛門岳〜土合というコースを辿るというものだった。メンバーは、西(L)、佐藤、関、満田の4名。

9/27 晴れ 11:00 入渓。メンバーの中の数名は、すでに白毛門沢を今年2回遡行しているため、慣れたものだ。私自身は、5月に奥秩父の釜の沢に行って、下りの登山道で数年前に痛めた膝をまたまた痛めて以来は沢にご無沙汰であった。思えば、これが翌日の事故の引き金であったと思う。

思えば、メンバー中、西さん、佐藤さん、私は2年ほど前に、同じコースを辿り、翌日ナルミズ沢を遡行している。そのときも、美しい沢歩きを楽しみながら、最後のツメ上がりのときは少々バテてしまった記憶があった。

11:20、ハナゲ沢の左側を登る。白毛門沢を見送り、水面の日光の反射を楽しみながら、東黒沢を遡行する。小滝、ナメ滝の連続で、そのあと小さなゴルジュ、10m3段の滝を越す。
中流部の連瀑帯の切れ目で昼食。左岸からの支流を13:00頃見送る(エリアマップによれば、金山沢)。そのあと、右岸からの支流を見送り(13:45)、武能岳〜白毛門の鞍部へつめあがる(15:00)。この時点で、申し訳ないことながら、私がかなりパーティーのスピードを落としてしまっていた。
そして、ウツボギ沢の支流を下り、宝川とウツボギ沢の出合いの広河原へ(15:50)。先行パーティーがすでに河原の広い場所を占拠していたため、ウツボギ沢を少し上ったところにテントを張る。

9/28 晴れ 8:30発。ウツボギ沢も、東黒沢同様、美しい小さな滝の連続であった。すぐに2段15mの滝が現れ、右側を巻く。その後はナメ滝、小滝が続く。左岸からの支流(9:15)を経て、さらに連瀑帯を行く。左右に小さな支流が現れる。二俣(11:00)を左に入り、さらに小さなナメを越えていく。その奥の二俣(11:30)を左に入ったころから、左右にササと灌木帯が覆いかぶさるようになる。昼食後、最後の二俣を右に入り、あとはまるで急な林道のような沢筋を詰めあがる。ふくらはぎが若干痛くなる様な強引な登りだ。ササ薮を少々かきわけ登山道には12:30着。ここでちょっと一服。登山道を辿り、白毛門山頂には、13:10着。ここで、ひざに古傷を抱える私としては、非常に憂鬱なくだりが待っている。

休息している仲間より、自分の下山の速度が遅いことはわかっていたので、「先にそろそろ行っています」といって、そろそろと下山開始。快足の佐藤さんにすぐ抜かされる。急な下りを用心深く終えたあと、後ろから西さんが来たので、「ごめん。やっぱ共同装備を持ってくれない」と頼み、二つ返事で持ってもらったその直後であった。

「いや、やっぱ膝痛くてさ」と油断もあって西さんに語りかけながら、軽率に斜めに置いた左足が、谷方向に軽くスリップして転倒。私は転ぶことには慣れていたため、瞬間激痛がはしったものの、すぐに痛みは収まるとたかをくくっていたが、なかなか収まらない。とりあえず、数メートル先の平らになっている場所で、西さんとその後に来ていた関さんにテーピングを借り(私も持ってきていたのだが、ザックの奥に入ってしまっていた)、さらにバンテリンや痛み止めも借り(持ってきていなかった)、応急措置をした。かなりぐるぐる巻きに巻いたのだが、それでも立ち上がって一歩踏み出したとたん、あまりの痛さにまたしゃがみこむ始末。おそまつながらヘリコプターを要請するはめになってしまった。その詳細については、西リーダーの報告に譲りたい。

なお、私はうかつなことに財布や携帯をザックからピックアップすることを怠ったため(ザックもあとからヘリにのるのだと思い込んでいた)、身一つで病院に担ぎ込まれる羽目になってしまった。他のパーティーは救助隊員とともに、私のザックを持って下山。病院に駆けつけてくれた。本来だったら、今頃は、温泉にでもつかっているところ(事実、その日の朝からどこの温泉に入るかということは重要な検討事項であった)、夕闇せまるなか、それでもさっと下山し、来てくれたパーティーに仲間のありがたさをつくづく感じた次第である。

最後になりましたが、今回の事故でお世話になった谷川岳山岳警備隊の皆様、水上町交番の皆様、救急隊員の皆様、月夜野病院の皆様、その他関係各位にご迷惑を謝すとともに心から御礼申し上げます。今回の事故の反省にもとづき、今後このようなことがないよう再発防止に努める所存です。(記:満田)

事故報告
1 事故までの概略

今回の計画は、リーダー西で参加者は満田、佐藤、関の計4名で、9月27日、28日の1泊2日で土合橋から湯檜曽川東黒沢〜宝川ウツボキ沢左俣を遡行し、白毛門経由で土合橋に戻るというものであった。
1日目は予定通りウツボキ沢へ下降して泊り、2日目は途中で満田がへつりで水没というハプニングはあったものの、順調に12時30分に笠ケ岳〜白毛門の登山道に出た。
白毛門には13時頃、先に西、関が着くが、山頂が混んでいるため、鎖場を下った見晴らしの良い場所で休憩をとる。山頂には続いて佐藤が着くが、5分程待って満田が到着する。満田は久しぶりの山行で、少々疲れているようであった。このため、休憩の際に満田の背負っている共同装備 (テント本体) を西に移し替えた。
佐藤はジジ岩、ババ岩の写真を撮りに13時15分に出発。3人は30分に出発し、登山道が急な斜面に差しかかり、1600m付近で満田が少しスリップし、尻餅をついた。
2 事故から救助されるまで 最初はなんでも無いことのように思えたが、彼女の痛がりようは尋常ではなく顔をしかめて全く動けなくなってしまった。古傷の左膝の靭帯をやってしまったとのことだった。とりあえず、膝をテーピングでガチガチに固めてもらい、痛み止めを飲んでもらった。この時点では、自分の経験から荷物を軽くして少し時間がたてば、何とか歩けるかも知れないと思っていた。丁度その時、少し先の松の木沢の頭にいる佐藤から携帯で連絡があったので、満田が少しスリップして膝の靱帯を傷めたこと、そろそろ歩きだすことを伝える。しかし、肩を貸して少しずつ歩こうとするが、全く歩けないばかりではなく、地面に足を付けない状態だった。3人が立っているものの、全く進んでいない様子を見ていた佐藤から再び連絡があり、今後を協議する。肩を貸しても全く歩けないのであれば、この先はまだ急坂も多いことから、3人では交代で背負っては、所々ザイルも必要であり、下山が夜半過ぎになってしまい、危険であることや、満田の膝に負担を全く掛けないことは不可能であるため、傷を悪化させてしまうことなどから、本人に再度確認の上、救助要請するしかないとの結論に達する。
救助要請するならば、早い方が良いので、エアリアマップに書いてあった『登山センター』に14時30分頃に携帯で連絡をする。事情を説明するとヘリを飛ばせるかどうか今から警察と連絡を取るのでそのまま待機して欲しいとのことだった。同時に在京連絡人である長南に満田の事故と救助要請した旨の連絡を入れる。
それから、返事の電話があるまで少し時間がかり、15時過ぎに登山センターの方(御名前失念)から連絡があり、警察に連絡したらヘリを飛ばしてもらえることになったとのことで、ほっとした。また、佐藤が登り返して合流し、満田を両側から抱え、ヘリがピックアップしやすいと思われる平坦な場所に20m程移動した。ここは、ジジ岩、ババ岩の頭が見え、また見晴らしの良い所でヘリが土合から飛んでくれば、直ぐに判る所でもある。
我々は、ヘリが土合か水上から飛んでくると思っていたので、ヘリが飛ぶまでかなり時間があったような気がした。当日は快晴だったが、谷川独特の国境稜線方面からの雲が流れてきて、日が陰り寒くなる。雨具を着たり、行動食を食べながら“早く来て欲しい”と内心思った。
一方で、救助要請して以来、携帯は鳴りっ放しで、4人の名前、住所、年齢、職業、行動ルート、登山歴、現在の居場所を何度も繰り返し聞かれ、少々苛々した。
そうこうしていると、3時45分頃にヘリが向かったとの連絡が入り、マットのような光るものを振るように指示があった。
丁度その頃から我々のあたりにも、時々霧が掛かり始め、マズイと思っていると、4時頃ヘリの爆音が聞こえ始め、白毛門沢出合付近にヘリが見えたのも束の間、霧で全く見えなくなってしまった。次第に爆音が近くなり、我々の真横や真上にヘリが居ることが分かったが、視認できない。この間、携帯でのやり取りをしていたが、霧が全く晴れないため、爆音は遠ざかり、土合のヘリポートに戻ってしまった。一同がっかり。しかし、霧が晴れて視界が利くようになったら、すぐ土合から飛ぶので連絡をして欲しいとの連絡も受けた。
4時20分頃から濃い霧が少しづつ晴れ始めて、日も差して土合駅、シェルターまでがはっきり見えるようになる。携帯で霧が晴れたことを何度も連絡するが、ヘリは全く飛ぶ様子がない。代わりに警察の人から、17時半が日没なのでそれを過ぎるとヘリは飛べない。その場合は救助隊員を派遣するので自力下山を覚悟して欲しいとの連絡が入る。そこで、再度「今は日も差して、非常に視界が良いです」と伝えた。少ししてから、もう一度飛ぶとの連絡を受け、間もなく爆音とともに白毛門沢出合付近からヘリが見え始め、あっという間に我々の前でホバリングし、救助隊員が4人降りてきた。
救助隊員の内1人が「痛いのを我慢して」と言いながら帯で満田を背負い、もう1人の介助でさらに岩場を降りて一段下の平坦なやせ尾根に出た。。すぐさま、ワイヤーで1人の隊員とともにヘリにピックアップされ、あっと言う間に飛び立った。時間は丁度17時。残された3人は、日没に間に合ってよかったと、ほっとする。
救助したヘリは群馬県の「はるな」で防災用とのこと。前橋から飛んできたとのことで、最初に飛んでくるのに時間が掛かったのがうなづけた。
3 救助後の概略
満田は、土合のヘリポートから救急車で病院に収容される。診断は左膝側副靱帯損傷とのことであったが、今日中に帰京するため、ギブスでは固めず、取り敢えずの応急処置をされる。一方、残された3人は、日暮れも迫っているため、満田のザックも分けて背負い、救助隊員とともに登山道を下山する。当然に途中で暗くなり、ヘッドランプを付け、土合橋に着いた。救助を待つ間に事情聴取されたためか、満田の怪我の状況だけ後日連絡することだけだった。また、下で待っていた山岳救助隊の方のご好意で、満田の収容された病院まで送っていただいた。病院に着いて着替えを済ませ、満田に面会すると、既に処置は終わっており、松葉杖をつきながら最終1本前の新幹線で帰京することができた。
(文責:西)
事実の経過
13時30分 :白毛門直下発
13時40分頃:事故発生
14時30分頃:携帯電話で救助要請(登山センター)
在京連絡人(長南)に連絡
15時過ぎ :登山センターから連絡あり。警察のヘリが飛ぶ旨連絡あり。
16時頃  :ヘリ飛来(1回目)、視界不良につき帰還
17時   :ヘリ飛来(2回目)、満田ピックアップにより救助
17時30分頃:満田、病院に収容され、処置20時30分頃:上毛高原駅着22時頃 :上野着 (以下は残った3人の行動)
17時05分 :下山開始
18時35分 :土合橋に下山
19時30分頃:収容病院着

以下は今回の事故に関して例会で検証、シミュレーションした結果です。

検証
● 応急処置は適切であったか
テーピングと痛み止めは適切な処置であったが、シップ薬を携行すべきだった。
救急用品として携行すべきもののりストを作成し、例会の席で実物を持参して確認することとする。
● 救助要請は適切だったか(自力下山は無理だったか)
自力下山が絶対無理とは言えない。ただしその場合、本人の歩行は無理だったので、一人が彼女を背負って、他のメンバーで荷物を分担し下山することになる。白毛門からの登山道は急なので、下ろすに際しては要所要所にフィックスロープを張るなどの安全対策が必要。下山は深夜か朝になっていたかもしれない。また、時間が経つことで足の具合はかなり悪化していたと考えられる。その意味で今回の救助要請は適切であったと判断できる。
ただし、もう少し症状が軽かったならば、救助要請は極力控えるべきである。自力下山は本人と同行メンバーに多大な負担を強いることになるが、それでも安易な救助要請は避け、できるだけ自力下山の方法を探る努力を忘れてはならない。
● 山行計画に不備はなかったか
今回のコースは東黒沢〜宝川ウツボギ沢左俣というコースで、メンバーの経験・力量からして計画に無理があったとは言えない。ただ、彼女は前回行ってからブランクが長く、いきなり泊まりの山行というのは無理があったのかもしれない。リーダー会での山行審査のときにそのあたりのことが全然話題に出なかったのは、リーダー会として反省すべきである。
● 再発防止策
ブランクの長い人は常日頃筋トレやランニングなどを行い、運動能力の低下を極力抑えるべきである。
また、リーダー会の山行審査においては、たまに行く人がいる場合は、いきなり泊まりの山行は避け、まずは日帰りでの足慣らしの山行を勧告するなどの配慮が必要。

シミュレーション
● 夜間であったら、雨天であったら
夜間や雨天の場合など、その日の下山・救助は無理の可能性が高い場合には、適当な場所でテントを張ってビバークし、体力の温存を図るのが正解。
● 沢の中で起こっていたら
沢のどのあたりかにもよるが、ウツボギ沢の比較的下流部であれば、登山道を宝川温泉に下ることが考えられる。上流部であれば、やはり稜線に出て救助を待つことになったであろう。いずれの場合にも沢の中では時間切れになる可能性が高いため、その場合には無理をせず、適当な場所でビバークをする。

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