山の夜

 『山の夜』といっても、沢での焚き火の夜の物語や雪山の魍魎との一夜の話ではない。

この二年、山に入る日数が年間70日を超えてしまい思うところがあった。いったい私はどれだけの山を覚えているのだろう、どれだけの風景を思い出せるのだろうかと。

想いに耽ってみると、美しい風景に出会った山やすべてに恵まれて楽しかった山というのは、まず思い出された。美しい想い出という奴だ。しかしそれとは別に妙に鮮烈な印象を残している山々があった。それが夜の山、夜まで山から降りれなかった山である。その中から想い出での山の夜を三つ。

まずは沢である。
 二年前の秋の太郎助沢から足沢を下降した時の想い出。
まずまずの満足感をもって稜線にあがったのが午後三時。あるかもと思っていた踏み跡がなくて藪を漕ぎ足沢の下降点についたのが午後五時。今日中に家に帰れるかなぁ、と思って下降をはじめたが、4人が持っていた捨て縄がほとんどなくなってしまうぐらいの懸垂下降の連続。20本以上の捨て縄がなくなってしまったということは20回以上懸垂下降をしたことになる。
秋の夕暮れは早く、日が暮れて夜の懸垂下降がはじまる。ザイルが届いたかどうかを釜に映った月が揺れたことで確認したり、つないだザイルが回収できなくなりあきらめてザイルを切ったり、暗闇の中に懸垂したらハングっていていきなり水をかぶってザイルにぶら下がって回ってみたりと、実にさまざまな懸垂下降があった。それにしても一度もハーケンを打たずに支点があったという事実は、その後のいい糧となった。
最後の懸垂下降が夜中の二時。林道に出たのが三時。この時間まで行動したのは、宗像さん、佐藤さん、戸ヶ崎さん、そして私というメンツをみてのリーダーの判断だったのだろう。事実、我々は何事もなく下山した。そして翌朝、何事もなかったかのように出勤した。月夜の懸垂下降。沢のかたちもわからずに黙々と月を見ながら懸垂下降をするのは、焦りもなく妙に落ち着いた境地であった。

 次も月にからんだ想い出である。
二年前の吹雪の中、佐藤(義)さんと2人で仙ノ倉北尾根を目指したときのこと。群大ヒュッテまではまだ吹雪いてなくて膝下のラッセル。吹雪いてきたので一旦はここまでと思ったが、やっぱりもう少しということで小屋場ノ頭を目指して腰ぐらいのラッセル。へろへろになって小屋場ノ頭にたどり着いてテントの中でキムチ鍋で一杯。疲れたのか、妙に息苦しく頭も痛くなった。蝋燭の炎が消えていて、酸欠とわかり外に出るとテントがかなり埋まっていた。
次の日、テントから出るのに一苦労。ほぼ半分以上テントが雪で埋まっていた。わかんやらなにやらを掘り出しラッセル開始。なんと腰上から胸までのラッセル。群大ヒュッテに着いたのが午後三時。あまり期待はしていなかったが、昨日つけた林道のトレースは完全に消えていた。ここから延々と膝上のラッセルをつづけ、土樽の駅に着いたのが午後十一時。
私はわかんを壊れるまで酷使し足の付け根の筋を痛め、佐藤(義)さんは疲れから気分が悪くなって最後には吐いてしまったそうだ。
林道で延々とラッセルをしているうちに雪は止み日は暮れ、月明かりの下でのラッセル。荷物をデポしてのラッセルなので、一人で月をみて一息ついてまたラッセル。そのうちにオリオン座が昇ってきて寒々とした光の下でまたラッセル。この時の風景を思い出すたびに、辻まことの『むささび射ちの夜』の挿絵の青さを感じる。

 最後は去年の夏の合宿。西ノ俣沢の下降。
いつもなら、我々がルートを探しているうちに消えてしまう代表が、このときは偵察に行ってくると言ってなかなか帰ってこなかった。昼寝ができたぐらいだった。
メンバー12名のうち4名が新人という構成だったので、全員の安全を考慮した代表の行動だったのだろう。そういった代表の行動が何回も続いた。
そして、その日最後となった大巻きの下降のときのこと。代表が暗闇の中、懸垂で降りていったあと、指令がとんで私がもう1本ザイルを持って降りていった。下の様子もわからずに降りていくと、ザイルの終端が終わったまだその下から光るヘッドランプ。恐る恐る降りたった代表の立っていたスペースの狭さ。とてもテラスなどと呼べる代物ではなく、暗く狭い場所でザイルのやりとりと支点工作をして、代表が河原まで降りきったときの安堵感。
結局、その日は無理をせずにそこでビバークすることになった。太郎助沢のときを思うと随分とはやいビバークであったが、これもメンバー全体の構成を考えて安全を優先した代表の判断だった。
実に学ぶところの多い山行だった。事故を起こさないためにどう行動するか。メンバー全体の力量を把握できているか。把握した上でメンバー全体の役割をどう考えるか。随所に山での安全性を追求する代表の姿が窺われて、教えられるところが多かった。
そんなことを、あの狭いスペースで壁に張りつき落石に怯え、ひとりひとり代表のもとに導きながら思った夜。あのときは月が出てたか星はあったか覚えていない。

沢であっても雪山であっても、日が暮れてからの行動というのは当然、危険性が増す。下山のときそこを焦らずに、メンバー全体の力量から行動を判断して山から降りきる。必要なのは冷静な判断とメンバーに対する信頼感。それが鮮烈な印象へと繋がっている気がする。(ち)

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