夜、沢に着いて河原を探した。流れの少ない貧相な沢型で、仕方なくそのすぐ脇に続いている山道の上に2人パーティーがようやく横になれるようツェルトを張った。夕食にありつきながら、11月上旬のE山脈にもまだ秋の柔らかなぬくもりが空恐しい冷たさをたたえた闇の中にほんのり漂っていることが感ぜられて、ほっとする。
翌朝は曇天。尾根に取り付いてゆく山道を離れてささやかな冷たい流れに沿ってゆく。小さなゴルジュを巻いて右岸からF沢が出会うと本流は北に向かって突き上げてゆくようになる。見通しの効くようになった沢筋にいつしか乾いた青空が広がってきて、谷の両岸のすっかり葉を落としたダケカンバの林がいっせいに、痛いほど冷たさを感じさせるその陰影の中から白く浮き上がるように映えてきた。地図を見ると、ここから当分は物を想い気を紛らせつつ行くべきゴーロが続いている。しばし憂鬱な感興を胸に、進もう。
標高は大いに稼がれ、とても疲れた。振り向くと黒い地肌に雪を散らした南隣の山塊が見える。冬に向かって登ってゆく、そんな寒い気持ちになってきていると、やがて行く手の北の蒼穹をさえぎるように上段15、下段5mの滝が現れた。左リッジを何気なく登っていったが下段落口付近より上部が思いのほか悪く、上段落口脇のトラバースで冷や汗をかく。続く10m滝は水流の右を直登、これも難しい。
ようやく始まったゴルジュ内の滝々。青空から降ってきたかのような沢水が黄金色の枯草に彩られた冷たい岩肌の起伏を縫って流れ、晩秋の弱々しい日差しが作った深い陰影の上で銀色に踊って、やがて谷底の闇の中に吸い込まれてゆく。感動的に美しい。登ることを楽しめない私が、登らなければ楽しめない矛盾を、この沢はこれまでのどの沢よりも容赦なく衝いて私を苦しめ始めていた。
4、3、5、7,4m滝を登攀後、10m滝、左岸巻きに入る。目論んでいた落口上部脇のトラバースが我々の技量では絶望的と判り、さらに50mほど草付や露岩の非常に悪い登りを続け潅木帯に達し、トラバース。もうひとつの10m滝もやりすごしてからやはり悪い下降を強いられ再び沢に戻った時、ハーケンは尽きていた。
チムニー状6m滝、左岸ルンゼを登り落口脇トラバースを試みるが退却、水流の中のクラックに足をはめ込みながらのシャワークライム。16時、晩秋の日の光ははや遮られて輝きを失いつつある。両岸は50m超級に屹立した岩壁になってきた。日帰りは甘かったようだ。少し開けたところにツェルトを張り、崩壊スラブから大量の薪を得て暖を取る。覆い被さってくるような大岩壁の圧迫感に無意識に耐えかねてか、火が大きくなっていた。
翌朝、両岸は再び極めて狭まり凹型の谷底にチョックストーンを行く手行く手に詰め込んでいる。CS5、3、4、2、CS7、CS5、CS4、CS3m、その他にも無数の2m前後のチョックストーン滝をステミング、ショルダー、側壁トラバースで通過していくが、はまり方の悪いそれが取り付くすべを与えず立ちはだかったらすでにハーケンを消費し尽くしてしまった我々は身動き取れなくなることをひしひしと感じる、はりつめた前進。加えてスノーブリッジ、ブロックが残っており不安に襲われるが幸い大きな災いなく通過。反面、予想よりはるかに困難なのは荷揚げだった。昨日から空身登攀が続き、時間と体力を消費させられる。
水平距離約250m、高度差120mあまりのチョックストーン帯は終わり、12m滝を初めとして鋭い岩峰の右側を回り込みながらの連瀑帯となる。今日は朝から寒々と曇っている。日差しがないとガランとした岩壁だけで構成された沢は無機的な冷たさ以外に、美しさや荘厳さもなにも感じさせない。12m滝、左から取付き中段でシャワーを浴びながら右に渡り直登。8m直瀑、比較的広いフェースを真中の水流に沿って直登。10m滝は若干傾斜緩く、CS6m、ショルダーで幸い取付け、10mチムニー滝、強引に内面登攀。やがて源流部の二俣。右本流の沢型は10m位の直登困難な直瀑の上にかなり高度差のある長いナメをもって開けるようだ。ここは左俣出合奥の4m滝の右側側壁を登りトラバース気味に落口へ抜ける。中間尾根をまたぎ本流筋に戻るとやはりゴルジュは終わっていた。源頭のスラブはかなり傾斜があり潅木や草付にからみながら慎重な登高を要するものの、黄泉の底から這い上がってきた嬉しさがじわじわとこみあげてくる。
正午前、稜線に達する。北面にはすでにかなり雪が張り付いている。高曇りの空の下、山脈の主だった峰々が手にとるように見える。風がなくとても静かである、まもなく冬がやってくるのだろう。我々は修験者の痕跡の散在する岩峰群を縦走して下山するつもりである。(K)