「秋山図」のことなど

 或る初秋、台北の故宮博物院を見学した。期待と現物の邂逅は悲喜こもごもで、三,四千年前の作ながらかくしゃくたる青銅器の群れは私の貧弱な頭脳に歴史のリアリティーを感じさせるにはスケールの大きすぎる代物で、宋~清朝の青・白磁の数々も工芸品としての精緻さにはやはり息を呑む思いであったがどうも詫び寂びの茶陶芸術に毒されている感性にはいまいち響かなかった。

結果、すっかり時間がなくなり駆け足で通りすぎた山水画の残像が後日時間が経つほどに胸に沁みてきて、もっとじっくり鑑賞すべきだったと悔やまれた。

そんなことも忘れかけてすっかり涼しくなった晩に、書架から無造作に引っ張り出して睡眠薬代わりにばらばらと読み散らしていた芥川から、たまたま「秋山図」に再会した。元朝の画の神手によるという題名の一幅をめぐる短編で、次に引用するような描写になる幻の山水画に否応もなく吸い込まれてしまう。

 画は青緑の設色です。渓の水が委蛇(いい)と流れた処に、村落や小橋が散在している、–その上に起した主峯の腹には、悠々とした秋の雲が、胡粉の濃淡を重ねています。山は高房山の横点を重ねた、新雨を経たような翠黛ですが、それがまた朱(原文は石へん)を点じた、所々の叢林の紅葉と映発している美しさは、殆(ほとんど)何と形容して好いか、言葉の着けようさえありません。こういうと唯華麗な画のようですが、布置も雄大を尽していれば、筆墨も渾厚を極めている、–いわば爛然とした色彩の中に、空霊澹蕩(たんとう)の古趣が自から漲っているような画なのです。

私はG山脈の秋を思った。古来その山峡の街道は、あまりにも深く険阻な本流の谷筋や、沢登りを通じてその幾つかを知る滝々で流下する枝谷の下流部を避けて、稜線に程近い山腹をめぐり、遥かに南方の小さな平野に通じていた。それに沿って点在していた人家はいわばなごりで、今は夕暮れの早くなった時候にぽつぽつと灯り始める明かりが、深い谷底を縫う車道から見上げる私達に、”なんであんなところに”という驚きと懐かしさをもたらす景色を作っている。

むろん、「秋山図」とはそうとうにかけ離れた設定と云わざるを得ないが、その垂直的な構成が連想を呼んだのに違いない。

* * *

月日は過ぎ、何時の間にか晩秋になっていた。私は「秋山図」に見定めたあの山脈のふもとの一角を目指す機会を得た。車を停め、まだ足取りもおぼつかない娘の手を引きながら延々とつづらを折りながら高度を稼ぐ山道を行く。疲れてぐずりだした娘を道端の石の上に座らせ、ここで待っておれと言い聞かせて猶も進んだ。薄暗い杉林の上が明るく見えてきて、紅葉に彩られた山家が近いと思い急いだが辿り着いたのは小さな墓地で、むき出しの白い砂礫の地面が空虚な明るさを冷たく放っていた。

こんなはずではない、と思い左に折り返した斜面を駆け上がっていくが突き当りには同じように墓石が散在するばかりで、更に上方を見渡しても皆伐された無残なブナやナラの切り株の合間に貧弱な潅木が這っているばかりだった。失望感が胸に広がるか広がらないかする前に、今まで晴れ上がっていたはずの空に静かに広がってきていた灰色の雲が、飛雪をかすかに含んだ冷たい風を伴いながら陽の光を遮って、景色を一変に鉛色に変えてしまった。

我にかえってあわてて山道を駆け下ったが、待っておれと言い聞かせたはずの娘の姿が見えない。血の気が引き、探し回って呼べど叫べど二度とこの手に戻ってくることはなかった。謝るべき細君と連絡をとるすべも絶えて久しい。

……後悔するにもしきれず泣きたくなったところで夢から覚めた。現実でなかった嬉しさは格別であったが、程なく、私にとってもうやめることの出来ない山行とは何物で、そこで背負っている本当の重荷が何なのかを、一枚のベールも通さず見せつけられた気がして、いかんともしがたい相剋に暗澹たる気持ちに堕ちた。(K)

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