どう満足するか

 学生生活も残りわずかとなった。1年余計に通ったためか、「あっという間だった」というよりは、「ようやく終わった」という感覚の方が強い。
会の活動に関しては、最後の1年間は片手で数えられるほどしか山行に参加しなかった。

就職活動、バイト、卒論などに追われていた、あるいはお金がなかったなど、いろいろと外的原因はあるが、気持ちが山から離れていたという原因も多分にあった。写真を見たり山行の話を聞いて自然の只中にいることを想像すれば、憧れる気持ちが湧いてくるが、どうも実際に行こうというところまで踏み出せない。時々山行に参加すればやっぱりいいものだと思うが、どこか釈然としないものが残る。
長く山をやっている間、何となく山と心理的に距離をおいてしまう時期があるというのはよくあることだろうか。といって、登山歴は大して長いわけでもないが。高1でワンゲルに入り初めて登山道を上った山は、地形図上に名前さえ載っていない低山で、今思えばハイキングに毛が生えたような山行だったが、そのときの感激は今でも生き生きとよみがえってくる。もちろん誰しも、始めての山行の記憶はそういうものだろう。湿った土の匂いや、風にざわめく森林の暗闇や、ガレ場に転がる巨岩や、小さな沢筋に水が流れ続けているさまなどに、何か不気味なものすら感じて目を見張ったのを覚えている。自然に憧れつつも都会生活を続けてきた子供にとっては、もの言わずただ自若としている存在は、荒々しさと穏やかさをあわせ持った何とも神秘的で謎めいたものとして感じられ、こちらはもう黙るしかないような気分にさせるものだった。頂上付近で岩場に出ると、眼下には大月市方面へ伸びる中央道が幾何学的曲線美を描いるのが見下ろされ、そのとき初めて、人間の活動と自然の活動との間には異質な原理が働いているということを感じた。
自然の理解の仕方は東洋人と西洋人では違い、西洋人は認識の対象として分析的に理解しようとするのに対して、東洋人、特に日本人は、自然を理解しようとしてそれと一体化する方向に向かうということを、本で読んだことがある。日本の伝統文化と自然の関係を論じたものなので、そのまま現代の日本人に当てはめられるわけではないかもしれないが、そういう傾向はまだあるような気がする。少なくとも自分の自然理解はそういう形式をとっているようだ。植物の分類や、その沢にどういう滝がどのくらいあったかというような点に細かい注意が行かないのもそのためだろう。その場の雰囲気というか、その地形、水流、植生などが組み合わさって、まさに一つの生命とでも言うべき全体性の様なものを感じ取ろうとする。あまり客観的に沢を見ようとしていないと言える。そういえばこれまで登った沢で一番印象に残っているのは、朝日連峰の岩井俣の畑沢で一日停滞したときのことだ。豪雨により激流と化した沢を一日中眺めていただけなのだが、これが妙に嬉しかったのも、どうやら、感情移入するほど存分に自然の作用を味わうことが出来たからではないかと思う。ゴーロに対する愛着があるのも、廃墟がかつての繁栄を偲ばせて感慨深いのと同様に、それが自然のダイナミズムの痕跡を色濃く留めているからかもしれない。今まで自分でも不思議だったが、恐らくそうであるに違いない。いずれにせよ、時間も超越して自然のあるがままを感じ取った時のまさに感じているという点が重要だと感じる。(しかし素直な感覚もこんなふうに表現するとひどく理屈っぽい。そういう主客未分の認識ということから西田幾多郎の思想に傾倒して行くというのも、大学で観念遊戯に親しんだ学生の悲しい性なのかと自分でも嘆息している。)
しかしずっとこういう関心で沢を登っていて、最近飽きが来たのか慣れで感性が鈍ったのか、どうも何かが見えていない気がして仕方がない。色々な印象は蓄えてきたが、もっとはっきりと掴めるものが欲しい、というような感覚に襲われる。どんな気分で自然を見て沢を登れば、一番充実した感覚を味わえるものか、その加減がわからない状態で、しばらく山行から遠ざかっていた。多分、こういうことは余り理屈に陥らず、とにかく山に行けばよかったのかもしれない。幸いこれから就職するにあたり、資金的な制限要因はなくなるし、場所はまだ未定だが地方勤務になるので、山には行きやすくなる。仕事に慣れるまではそうも言っていられないかもしれないが、東京に戻ってくるまでの間、少しずつ自分の沢登りのスタイルを確立していきたい。(もち)

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