2004年9月10日(土)〜11日(日)
L増田、長南、松之舎
![]() |
2004/09/11 足尾:小田倉沢 |
9月10日(土) くもり
池袋のレンタカー屋に朝集合して出発。沼田ICで降り、10:00にスーパーが開くのを待ち、買い物を済ませて奈良の集落を目指す。ゆっくりしすぎたので入渓がお昼頃になってしまったが、今回はのんびり山行なので問題はないだろう。
入渓後上流に向かうが、しばらくして間違いに気づき下流へ。このあたりは小田倉沢出合も含めどこも広河原となっている。広河原の木にヌメリスギタケモドキを見つける。水量が少ない上に伏流になっているため、流れは惨めなくらいに見える。
広河原をしばらく行くと、川幅が急に狭まり、ゴルジュ帯となる。現れる滝はすべて斜瀑、ナメ滝で問題なく超えられる。8m滝を右から巻くと沢床はナメとなり、ナメはゴルジュの終わりの13m幅広滝、2m幅広滝まで続く。
その後苔むしたゴーロ、幅広のナメと続き、次に両岸に台地が点在するようになる。しばらく行くと沢は再びゴルジュとなり、5m、4m、しばらく置いて12m、6m、6mの滝と続く。長南さんが歩きながら竿を出してみるが、当たりは無いようだ。この沢は地形図上ではっきりした谷筋でも涸沢となっているところが多く、勘が狂ってしまう。また、今日は曇りだが、そのせいだけでもなく沢全体が暗い。
第3のゴルジュ帯を過ぎたあたりでいい時間となったので幕とする。タープを張り、焚き火に火をつけ、晩飯の準備に取り掛かる。きのこに期待してなべにしたのは正解だった。ヌメリスギタケモドキ、ムキタケ、ナラタケを入れた鳥鍋は出汁が利いてとっても美味。秋の山の恵みに感謝。霧雨のようなものが降ったり止んだりしていたが、焚火には支障なかった。
9月11日(日) 晴れ
朝起きると晴れていた。二人はなかなか起きてこず、時間的にもまあ余裕があるのであえて起こさず、ゆっくりと出発。
テン場からしばらく行くとゴルジュ帯となり、3mの斜瀑が二つと12mの斜瀑がかかっている。このゴルジュを抜けると沢は明るく開け、両岸が台地状になる。猿梨を発見し、3人とも猿になる。沢筋に沿って明瞭な踏み跡が付いており、それを辿って奥の二俣に到着。踏み跡は左俣の方に伸びているが、どこかで折り返して延間峠に向かっているのだろうか。
ここから沢筋を離れて1504m西の鞍部を目指す。踏み跡はいったん見失うが、鞍部付近で再び出合う。鞍部から先は踏み跡というよりははっきりとした道となっている。足尾銅山華やかなりし頃の名残か。これから下る津室沢にはその昔集落があり、何人かの人が住んでいたという。それを探してみたくなってこの道を行くこととする。道はゆっくりと下りながら北へ伸びていたが、沢筋にぶつかると方向を変え、ジグザグに折れ曲がりながら沢の二俣に向かって下っていた。そして二俣で集落の跡を発見。そこにはレンガ造りのボイラーがほぼ完全な形で残っていた。このボイラーは、木材積み出しの索道のための動力としていたらしい。付近には石垣が点在し、往時の人々の営みの跡が確かにあった。道はこのあたりから右岸の山腹へ延びている。長南さんの話では、山を越えて泙滝まで延びているという。
このあたりで道とは別れて我々は沢を下る。沢はしばらく平凡だが、30mの大滝のあたりからきれいになる。大滝は右岸のルンゼから取り付いて巻く。かなり上まで登るが、踏み跡がしっかり付いている。下りはいやらしいガレを慎重に下って沢に戻る。大滝は2段30m。上段は15mの直瀑、下段は15×20mの斜瀑となっている。
ここから下はナメが続いている。最後の滝は上段が5m程度のものだが、下段は下が見えず上からでは判定不能。少し戻って右岸から高巻いた。ここから一気に本流まで巻いてしまうことになるが、これまでと違い踏み跡がいまいち不明瞭でいやらしいトラバースもあったりする。どこか別のルートがあるのかもしれない。下りの途中から滝を見る。30mをまっ逆さまに落とし豪快だ。
巻き終えて泙川本流に下りるとそこは川幅いっぱいのナメ。なんだか最後にご褒美をもらったようで幸せな気分になる。三重泉沢出合から小尾根に取り付いたが途中から進めず、いったん降りて三重泉沢に入り、すぐの右岸のガレを登って林道に出た。
ススキの穂に虫の声。もうすっかり秋だね〜。山の恵みに感謝しながらゆったりまったりと昔の人の足跡を辿ったそんな山旅でした。猿梨はただいま焼酎に漬けています。いずれ皆さんにご賞味いただきますので乞御期待。(記:増田)
<コースタイム>
9/10 奈良(11:50)〜 入渓(12:00)〜1115mの二俣(15:25)〜 テン場(16:00)
9/11 テン場(9:00)〜奥の二俣(10:50) 〜鞍部(11:20)〜泙川本流(14:15)