沢登りって臨機応変?

 学生のときに通っていたお茶の先生から「臨機応変にね」と連発されたのがきっかけですが、なかなか奥深い言葉だなと常々思っていました。

お茶というのは歩き方ひとつをとっても縁をまたぐのに右足から何歩でとか細かい作法があるのですが、部屋というのは広さとか床の間の位置とか同じではないので、その辺は「基本」を踏まえて「臨機応変」に歩くことになります。うまく応用しなさいよと言われているのですが、「いうは易し、行なうは難し」で、結構むずかしかった覚えがあります。
沢登りはその「臨機応変」そのものだなと思うことがあります。滝のルートは決められているわけではなく、パーティの登攀力や、水量などそのときの状態、気分などでいろいろ変わるというか変えられるというところが特にぴったり。ゴーロも好きなところを歩けるし。そういえば、岩登りをやってきた人で今は沢登りを主体にしているそうですが、どんな小滝であっても人の手を借りず自分で登るんだよねと聞いておどろいたことがあります。自分で登らないと気がすまない人なのかと思ったら、その人は決してリードはしないと聞き、ん?。小滝とはいえ手強いやつはざらにあるので、その場合は遡行に時間がかかるそうです。その人にかぎらず結構いるそうです。
一般に沢登りでは人のひざや肩をスタンスにしたり、ひもを出してもらって登ったりします。もちろん登りたいところはとことんこだわって悪戦苦闘してしまうこともありますが。ようは技術と時間と気持ちとのバランスの問題で、どうにでもなる。最近ではないのですが、昔3人ショルダーとかやったことがあって、「力をあわせて突破」という感じでとても楽しかったことがありました。(一番下の人は大変だったろうけど) 「力をあわせて」というのはなんとなく古臭いセリフですが、上手くいくとやみつきになる楽しさです。これは、見方を変えると、どこか他人をあてにしているところがありますが。
別の言い方で沢登りは「何でもあり」だといった人がいました。確かに使えるものは何でも使う。立ち木、根っこなどなど。岩登りの一部の人は、あの丈夫な根っこより、かよわいハーケン、ボルトを信用するらしいと聞いておどろいたこともあります。何でもありというのは、楽しいことですよね。どうやって登ろうかとか、いろいろ考えることができます。投げ縄とかいうのも一度やってみたいなと思ってはいるのですが、機会も少なく引っかかることも少なく、試したことはありません。現実は、むずかしいところほど選択肢の余地なしなのですけれど。
そういえば滝は巻くにかぎるとばかり、巻いてばかりいる人もいました。滝がきらいなのかと思うくらいでした。何でもありとはいえ、パーティで行動しているので、先頭を歩く人があまりにも極端だと、おもしろいところもつまらなくなることもあり、です。わくわく感は沢の魅力だと思っているので、大事にしたいですね。
己を知ったということもありますが、最近は気弱になり、とりあえずやってみるということもしないで逃げ腰になってしまいました。気持ちが萎えていると「臨機応変」は言い訳にも十分使える便利な言葉なので、気をつけなくてはいけません。私の場合は、沢に行ける回数が限られているので、気持ちが逃げないようどうやって体力をつけておくかが課題です。「ひも」と休憩は、体力を温存する重要事項なので、同行のおりにはどうぞよろしくお願いします。
(い)

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