5万分の1の地形図(※1)の「大鳥池」を開くと、その中央を南北に縦断するゴルジュ記号が目に付く。そう、皆さん良くご存知の八久和川だ。初めて遡行したのは、もう30年近く前の8月のことである。当時はまだ学生だったので、10泊で八久和川から出谷川の東俣を遡行する先輩の計画に乗ったものだった。
今はなき「鳥海」という夜行の急行で鶴岡へ。大鳥行きのバスを途中下車し、頼んでおいた山仕事のトラックに乗せてもらい、舗装されていない荒れた鱒淵林道を八久和ダムへ。背負うキスリングは、3kgにもなる、わらじ10足(※2)や食料10泊分で膨らみ、30kg近くあった。
さて、フタができない程に膨らみ、肩に食い込むキスリングを背負い、ダムから山道を3時間、汗だくでスズクラ沢に着く。沢を下るとすぐに本流に出合うが、八久和川の水量には息を呑んだ。当時の私の力量と知識では、渡渉などという考えすら及ばない。明日以降の行程に不安がよぎる。広い川幅一杯にゆったりと流れており、まるで大河だと思った。この日は途中の沢で荷物を下ろし、フタマツ沢から横沢まで遡行する。幸い、スズクラ沢付近に比べると水量が減っている。と言っても、水流が強く、水中の飛び石づたいに何とか対岸に移った。これを含め、渡渉できる場所は限られ、2回だけだった。フタマツ沢出合からの本流はゴルジュだが、両岸の岩が傾斜しており、緩やかな流れと相まって、明るい景色が印象的だった。
翌日は、フタマツ沢から本流に出て、昨日同様、何とか対岸に移った。ヤロウ平という台地に上がると、不明瞭ながら踏み跡がついており、これを辿る。横沢の先で踏み跡は本流に降りてしまうが、岩伝いに上流に進むと小沢の横から再び踏み跡が登っている。ここからはカクネ通りと言われた厳しい山道だった。本流を下に見ながら、雪で曲がった枝をまたいだり、くぐったり。横幅のあるキスリングでは、なおさら厳しかった。道が易しくなると、間もなくカクネ沢に着く。沢を渡り、不明瞭な道を10分程で、昔のマタギ小屋跡の小広場に出る。この日はカクネ沢の出合の滝を下り、再び本流に出る。下流は激流のゴルジュで、この時はとても遡行など及ばないと感じた。一方、上流は次第に穏やかになり、やがて川原が広がってくる。特に長沢出合上の川原は(当時は)砂地で最高のテントサイトだった。夜は盛大な焚き火に岩魚アラカルト(※3)で舌鼓を打つ。
長沢出合から芝倉沢までは、やはり水量は多いものの、渕尻を腰まで渡渉を数回で着く。芝倉沢からは再びゴルジュとなり、当時は巻き道もなかったため、胸までの厳しい渡渉が続く。小国沢出合では、台風の増水で2日間足止めをくう。
茶畑沢出合先の石滝では、大岩に抱きつき、越した。さすがにこの辺りからは水量は減るが、両岸が迫ったゴルジュのため、なかなか楽をさせてくれない。底の見えない圧縮された大プールは、踏み跡に従い初めて高巻く。さらにもう1回高巻くと、渓は穏やかになり、平七沢出合だった。ここからは、良くある普通の渓となり、釣り師も多いためか、踏み跡のしっかりした巻き道もあった。しかし、出谷川を横切る登山道の渡渉点についた時は、緊張もほぐれ、ほっとしたのが今でも記憶に残っている。
ここからは、日帰りで呂滝の上までは遡行したが、増水の足止めがあったため、時間切れ。オツボ峰まで急登し、大鳥池へ。沢の中とは違い、あまりの人の多さに閉口した。
以降、八久和川の素晴らしさが忘れられず、訪れたのは既に10回を超えている。もちろん、同じルートばかりではなく、横沢、長沢や小国沢からの下降、あるいは登山道から入渓しこともあれば、東俣、中俣、西俣それぞれでフィナーレを迎えたり、中流部を横断したこともある。そして、訪れるたびに水量も違えば、かつての記憶と異なった流れとなっている。しかし、本流は何といっても明るい渓谷で、自然の真っ只中にいるという感じするため、心が安らぐ。しかも川原での盛大な焚き火と新鮮な岩魚付きときている。このため、本流で必ず1泊はするようにしている。
ただ、最近はダムまでの林道も良くなり、巻き道も大分つけられ、入渓しやすくなったためか、残念なことに年によってゴミが目立つことがある。いつまでも、汚れのない自然のままであって欲しいと願うこの頃である。
(さ)
注)
※1 当時は、25000分の1の地形図は一部しか発行されておらず、朝日連峰界隈は5万図しかなかった。
※2 その頃は、現在のザックをアタックザックといい高価であり、登山は綿でできたキスリングが主流だった。サイドポケットが大きく横幅が肩幅の倍くらいあり、雨ぶたもなく、生地を折り畳んでシュリンゲで止めて、ふたにした。また、ウェット地の渓流タビや渓流シューズがなく、沢登りといえば、地下タビに「わらじ」であり、1足300gあった。
※3 この山行での岩魚メニューは、今でも良く作る刺身、塩焼き、バター焼き、燻製の他、味噌焼きやあまり美味くはなかったが、食料の軽量化のため、ぶつ切りとフキの味噌汁や炊き込みご飯を食べた。