なめとこ山のこと

 11月初の三連休の山行は、花巻の奥、鉛温泉の湯治場をベースに、豊沢川周辺の沢を日帰りで遡る計画に参加させて頂くことになりました。近くには宮沢賢治ゆかりのナメトコ山があるとのこと。一体どんなところなのでしょう?

 山で出会う風の音、岩や苔の手触り、水の煌めき、星の瞬き、月明かり・・・、何だか宮沢賢治のお話に出て来るようだなぁ、と感じることがあります。それは、「ドッドド ドドウド」・・とざわめく風であったり、ベゴ石の苔の踊りであったり、やまなしの水底の幻燈であったり、ふたごの星の笛の音であったりするのです。
 それは、詩人の紡ぎだす言の葉から生まれた心象風景が、心の底深くに残っていて、何かに感動したとき、それをうまく表現する言葉がないときに、思いもかけず浮かび上がって来るのでしょう。そしてそのことがまた、日常に追われていささかパサついてしまった心を潤し、見えなかったもの、聞こえなかったものに気付かせ、また時に生きる力を与えてもくれるように思うのです。
 詩人とはそのように貴い仕事をしているのだと思います。

 『なめとこ山のクマ』は熊撃ち猟師の小十郎とクマの話。子供の頃に読んだので、細かいことは覚えていませんでした。ただ、憎み合っているわけではないのに命を奪い合わなければならない猟師とクマの哀しさと、命のいとしさと、透き通るような山の描写のイメージだけをぼんやりと覚えていたのです。山行前に読み返したいと思いながら、地図などの用意をするのが精一杯でばたばたしているうちに、出発の日となってしまいました。それで、あえて何もせずに山の空気をじかに感じるのもいいかな、と思いながら、夜行バスのイーハトーブ号に乗り込みました。

 うれしいことに、1日目は晴れました。夜行の疲れで眠たい頭のまま、豊沢川沿いの道を走ります。豊沢湖の先には神社がありました。昔ダム湖ができる前、この辺りにも集落があったのでしょうか。豊沢川本流を渡る橋の上には、「ナメトコ山」(地形図の表記はカタカナ)が遠望できることを示す看板が立っていました。奥深い茫漠とした山懐を思い描いていた私の眼には、豊沢川の上流に見えるナメトコ山は、あら、と思うくらい可愛い山でした。「ナ・メ・ト・コ」というどこか可愛らしい言葉の響きに、似合っているような山の形でした。
 「大空滝上り口」の看板のある駐車場から、山毛欅の黄葉と青空のコントラストが美しい中山峠への林道を歩き、傾斜の緩いところから桂沢におりました。すでに葉を落とした木々も多い明るい沢筋を、みんなキノコ目になりながらのんびり歩いていきます。キノコ採りをしたことがない私は、キノコが見つかるたび名前や見分け方を教えてもらいました。途中、山毛欅の幹に熊の爪跡があったり、藪を踏みしだいた跡があったりと、この辺りは今でも熊たちが生活している場所であることが窺われました。ナメの多い沢筋で、大空滝沢を分けて小空滝沢に入り、小空滝を越えると廊下のような平坦なナメが続きます。なるほどなめとこ山は、「滑床山」なのだろうと思います。ナメトコならぬ、お目当てのナメコも見つかりました。初めて見るナメコの群生は、つるりんと厚くぬめりに覆われた表面が、空と木々を映して宝石のように綺麗で貴重なものに思えました。森の精気と山の露が凝縮されて、こんなにも美しいものができるのでしょうか。
 沢をつめ上げて戻る林道は、今度は大空滝沢沿いの山毛欅の林の中をたどります。大空滝沢も平らなナメが続きますが、やがて林道は沢筋から大きく左手に離れて行き、沢の向こうはというと明るくなっていて、もうそこは林の続きではないらしく、崖が落ち込んでいるようなのです。滝は見えるのかしら、と訝しく思いながらしばらく歩くと、林道脇に柵が作られた展望台のようなところがありました。谷は広がっていて、木々の合間から遥か対岸に一条の滝を望むことができました。岩壁に刻まれた深い窪みを何段かに分け、翻るように真白い水流が駆け下っています。落ち口と滝壺は木々に遮られて見えませんが、落差100m近くもあるでしょうか。見事な滝です。確かに、もし近くまで行って見上げたとしたら、大空から降ってくるように見えることでしょう。
 今も熊の棲むなめとこ山の懐で遊んだ一日に満足して、ブナの実を齧りながら、夕暮れの冷えた空気に負けないように小走りで駐車場に戻り、夜は鄙びた鉛温泉の湯治場で温まりました。ナメコおろしの美味しかったこと!

 2日目は雨に降られ、出羽沢の松倉沢に入る予定を大ヘンジョウ沢に変更し、半日キノコ目で歩きました。実物を見て教わったおかげで、私もいくつかは見分けがつくようになりました。ナメコのほかにも、ムキタケ、クリタケ、ナラタケ、ブナシメジ、ブナハリなど。落ち葉の陰にひっそりとかくれた、あるいは古い倒木にびっしりとついている、キノコたちをそっと手に取ると、森からとても貴重なものを頂いているという気持ちになります。
 出羽沢林道には、光林寺というお寺があった跡がありました。この地の住人の菩提寺であったそうですi。その昔、山とともに暮らした人々が住んでいたのでしょう。

 最終日、花巻市にある宮沢賢治記念館に立ち寄りました。こぢんまりとした博物館ですが、充実した資料がぎっしりと、見やすく工夫されて展示されていました。賢治のお話に出てくる鉱石や星のコーナーなど、眺めるだけで楽しいものもたくさんありましたが、原稿の展示も、書き手の息遣いが感じられるようで興味深いものでした。その中に、『なめとこ山のクマ』の冒頭の原稿もありました。
 「なめとこ山のクマのことならおもしろい。」で始まる、丸っこい人なつこいような字で書かれた文章を目で追うと、原稿用紙一枚の中に、「淵沢川」、「中山街道」、「大空滝」、「鉛の湯」、という言葉を見つけて心が躍りました。なぜか、淵沢川は豊沢川のことに違いないという感じがしましたし、中山街道にしろ、大空滝にしろ、鉛の湯にしろ、行ってきたばかりの場所ではありませんか。

 帰宅すると私はすぐに、子どもの本の本棚から「なめとこ山のクマ」の載っている本を探し出しました。もう頁が藁半紙のように茶色くなっている岩波少年文庫です。古い友達に久しぶりに会うように、わくわくしながら頁を繰り、ゆっくりと読み返しました。
 それから、最初のページのほかにも、いろいろな地名が出てくることに気がつきました。それは、
 (小十郎は)「なめとこ山からしどけ沢から三つ又から、サッカイの山からマミ穴森から白沢から、まるで縦横に歩いた。」
「木がいっぱい生えている空谷(からたに)をさかのぼっていると、」
ばっかい沢へこえる峯になった所へ、」
といったものです(下線筆者)。一体これらの地名は実際にあるのでしょうか。

 次に、インターネットで「なめとこ山」と検索してみました。すると、同じような疑問を持ち、仮説を立てている方々がいることがわかりました。
 そもそも国土地理院の地形図(2万5千分の1地形図「須賀倉山」)に、「ナメトコ山」が表示されたのは、平成8年のことだそうです。宮沢賢治生誕100年に当たるこの年、花巻市で江戸時代の古地図等をもとに位置が確認され、申請によって追記されたのですii
 『地図に訊け!』の著書もある、国土地理院に勤務されていた山岡光治氏のホームページには、「なめとこ山のクマ」に出てくる地名に関する興味深い考察が掲載されていますiii。それによると、上に掲げた地名のうち、「中山街道」、「大空滝」、「鉛の湯」のほかに実在する地名は、「白沢」だけです。私の本には、「しろざわ」とルビがふってあります。2万5千分の1地形図「鉛」を見ると、駒頭山を源頭に豊沢湖に流れ込む沢が「白沢」と記載されています。白沢は、小十郎が母熊と子熊に出会うときにのぼって行く沢ですし、最期の日にさかのぼるのもまたこの沢ですから、お話の中で重要な舞台になっている沢です。
 賢治の作品には実在する地名のほかにも、実在はしないがモデルがある地名や、存在やモデルなどがよくわからない地名が出てくるのですが、山岡氏はさらに、地図にはない地名のモデルを特定する作業をされています。「しどけ沢」「三つ又」「サッカイの山」「マミ穴森」についても、地図の専門家らしく実際の地形と照らし合わせながら考察を加えているのです。そして結論として、「『なめとこ山』は、実在するあるいは言い伝えられた『ナメトコ山』をモデルにしたもの。位置としては、現小倉山(850.7m)から、標高901mの『Aの峰』(山岡氏の掲示する地図で示されている。—筆者注)を経て現『ナメトコ山』までの山塊をいう。『なめとこ山(山塊)』の中山峠寄りには、実在する大空滝があり、淵沢川の源流となる西ノ股川には、現毒ケ森山(919.2m)からの洞穴と滝がある借り物の風景が含まれている」としてはどうか、と述べています。なめとこ山を、地形図に記載された「ナメトコ山」だけではなく、この流域一体の山や森のことと幅広くとらえながらも、ある範囲を特定されているのです。そしてその範囲では特定できない、お話の冒頭に記載された滝については、別の場所(出羽沢の上流にある毒ヶ森や松倉山)からの借り物ではないかという解釈をされています。しかし最後に山岡氏は、それはこじつけであって、「『なめとこ山』は、あくまでも心の中にあるべき山だったのです。」と結ばれています。
 私は今回の山行と、読み返したお話から、「なめとこ山」は地形図上の「ナメトコ山」よりも大きな山塊という印象を受けましたので、山岡氏の考察には素直にうなずけるところがあります。滝の解釈については少し違う印象を持ちましたが、それについては、後で述べてみたいと思います。
 白沢の西には、松倉山を源頭とする出羽沢があり、今回の山行の計画された松倉沢と大ヘンジョウ沢はその支流です。この出羽沢については、宮沢賢治学会の佐藤孝氏の小論がありましたiv。 宗教的な観点から、賢治が出羽沢の地名を一切書かなかった理由を考察していて興味深いものです。また佐藤氏は、別の稿で「サッカイの山」と「マミ穴森」についての考察もされているようです。
 山岡氏と佐藤氏の考察の中で、大きな点で共通しているところは、冒頭に出てくる滝の解釈です。少し長いのですが、原文の冒頭部分を引用しますv

 「なめとこ山のクマのことならおもしろい。なめとこ山は大きな山だ。淵沢川はなめとこ山から出てくる。なめとこ山は一年のうちたいていの日は、つめたい霧か雲かをすったりはいたりしている。まわりもみんな青黒いナマコや海坊主のような山だ。山のなかごろに大きなほら穴ががらんとあいている。そこから淵沢川がいきなり三百尺ぐらいの滝になって、ヒノキやイタヤのしげみの中をごうと落ちてくる。
 中山街道はこのごろは誰も歩かないからフキやイタドリがいっぱいに生えたり、牛が逃げてのぼらないように柵をみちにたてたりしているけれども。そこをガサガサ三里ばかり行くと、向こうの方で風が山の頂を通っているような音がする。気をつけてそっちを見ると何だかわけのわからない白い細長いものが、山をうごいて落ちてけむりを立てているのがわかる。それがなめとこ山の大空滝だ。そして昔はそのへんにはクマがごちゃごちゃいたそうだ。」

 物語の舞台となるなめとこ山を描写した、この導入部分には、一段落目にも二段落目にも滝が描かれています。東北らしい丸くなだらかな山容ながら、中腹には険しい崖があり大きな滝もかかる深い山、という印象を受けます。ところで、ここに描かれた滝は、同じ滝なのでしょうか。
 山岡氏と佐藤氏は、違う滝が二つ描かれているとしています。すなわち、「一般には大空滝だけのように思われていますが、はっきりと違う滝が出てきます。」(佐藤氏)「明らかに区別して使用しています」(山岡氏)と書かれています。そして、佐藤氏は、最初の滝を「オオヘンジョウの滝」と断定していますし、山岡氏も、毒ヶ森周辺の崖記号や滝記号、出羽沢に着目され、その辺りに「この記述に沿った風景が予想できます。」と述べています。大ヘンジョウ滝はまさにその辺りにあるのです。
 大ヘンジョウ滝は、35mとも50mとも言われていますが、確かに美しい見事な滝であるようですvi。今回の山行では、私は二俣から林道に近い右沢のほうに入ったので、この滝は見ませんでした(新緑か黄葉の時期にまた来てみたいものです)。
 この大ヘンジョウ滝を、物語に登場する最初の滝とするのは、大変興味深いことです。賢治は1918(大正7) 年に豊沢川流域を調査で歩いていて、この辺りにも足を踏み入れているからですvii。ペンを持つ賢治の心には、このときに見たさまざまな山の風景があったことでしょう。大ヘンジョウ滝のイメージが浮かんだとしても不思議ではありません。
 けれども、そうだとしてもやはり、私はどちらも大空滝のことのような気がするのです。「大きなほら穴ががらんとあいて」、そこからいきなり、「ごうと落ちてくる」という表現が、実際に目にした大空滝の姿にふさわしく思われますし、「三百尺くらい」という高さがちょうど大空滝と同じくらいだからです。大ヘンジョウの滝の高さはその半分くらいですし、いきなりごうと落ちてくるという表現には、幅の狭い落ち口から垂直に近い角度で落水してくるイメージがありますが、写真で見る限り大ヘンジョウ滝は、この表現とは少しイメージが違います。また文章表現的には、段落を分けて書かれてはいますが、一段落目がざっくりと遠くから望遠鏡を覗いたような表現、二段落目が自分の足で歩いて行って近くから見た表現にも読めると思います。そして近くまで行ってから「昔はそのへんにはクマがごちゃごちゃいたそうだ。」とだんだん話の中心に近づいてくるのです。まるで映画のコンテが、遠景から始まって、だんだん近づくにつれて色々なものがはっきり見えてくるような感じがします。
なお、その他の地名に使われている言葉についても少々調べてみました。「マミ」とは狸のこと、「ばっかい」はフキノトウのこと、「しどけ」は山菜でおなじみのモミジガサのことです。「空谷」という地名も出てきますが、想像をふくらませるなら、これは大空滝沢がある谷、というような意味ではないでしょうか。
 なめとこ山のこと、地名のことばかりを書いてしまいました。地名ひとつとってもこんなにたくさん考えることがあるのですから、作品全体の解釈については、実にさまざまな研究がなされているようです。気ままに読むことを楽しむならば、『なめとこ山のクマ』の中で私の好きなところは、「そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれども、なめとこ山あたりのクマは小十郎をすきなのだ。その証拠には・・・」というくだりです。そして、「小十郎はもうクマのことばだってわかるような気がした。」というくだりと、それに続く親子熊の話も好きです。『なめとこ山のクマ』は大変哀しいお話ですけれど、この文章には楽しく暖かく、救いがあるような気がします。熊も小十郎も自然の中でひとつであるような気がします。

 小十郎が死んだのは、空が真っ青で雪が燃えるくらいにまばゆい一月のことでした。鉛温泉にはもう初雪が降ったそうです。雪の季節の豊沢川、鉛温泉にも、いつか行ってみたいものです。
(B子)

i 花巻市立花巻北中学校ホームページ
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/kitachu/toyosawa.htm
ii平成8年8月の国土地理院のニュースレター
http://www.gsi.go.jp/WNEW/TEC-NEWS/1996/tec47.html
iii山岡光治氏のホームページ「おもしろ地図と測量」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/ には、地図の風景「宮沢賢治の『なめとこ山』」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaempfer/map-hanashi/nametoko.htm
という小論が掲載されています。
iv 宮沢賢治学会・会報第26号 2003.3 「出羽沢の宮澤賢治」 佐藤孝
http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho26/index.html
v 「なめとこ山のクマ」からの引用は、すべて以下の書籍によりました。
宮沢賢治作「セロ弾きのゴーシュ」岩波少年文庫152 昭和47年発行第13刷
vi 例えば、酔いどれさんのホームページ「扉のページへようこそ!」の沢の扉に、美しい滝の写真が掲載されています。 http://www.wink.ac/~ogaoga/
vii 奥田博「宮沢賢治の山旅」東京新聞出版局1996 19頁、および、佐藤氏viによります。

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